「話したい人が、もういない」からこそ思うこと。

「今さら聞けないことが、山ほどある」
そんなふうに思う夜が、たまにあります。
たとえば、親の若い頃の話。
どうやって父と母が出会ったのかとか、
母が働いていたとき、どんな気持ちで毎日を過ごしていたのかとか。
小さい頃は、あんなに近くにいたのに。
いつのまにか、大事なことをほとんど知らずに、
気がついたら“もう聞けない人”になってしまっていました。
それでも日々は流れていくし、
なにげなくテレビを観たり、
スーパーでカゴを押しながら買い物をしているうちに、
ふと、ふいに思い出すんです。
「あのとき、なんでちゃんと話さなかったんだろう」って。
親と距離があったわけじゃない。
むしろよく話していた方だったと思います。
でも、肝心なことほど後回しにして、
「まぁまた今度でいいか」って思ってた。
その“また今度”が、もう来ないことだってあるのに。
誰かがいなくなった後に浮かんでくるのは、
感謝とか、後悔とか、もっと一緒に笑っていたかったとか。
そういう、どうにもならないけど、たしかにそこにある気持ち。
言葉にできなかったことが、
胸の奥にずっと小さく残ってる。
だから、なんとなく思うんです。
いま隣にいる人たちには、できるだけちゃんと向き合いたい。
ちゃんと話すには、まず自分の中の声を整えるところから始めたい。
自分の中にある「言えなかったこと」や「言いたいのに言えないこと」。
それを少しずつ、ほぐしていけたらいいなと。
誰かに話す前に、まず自分に向けて、
小さな一歩を踏み出すような時間があればいいなと。
“話せなかったこと”があるからこそ、
今、ちゃんと向き合っていきたい。
そうやって、後悔を少しでも減らせるように。
これからの関係を、やわらかく整えていけるように。
最後まで読んでくださりありがとうございます。
もし今、あなたの中にも「ちゃんと話したい人」がいるなら、
その気持ちを大事にする時間を、そっと持ってみてください。
わたし自身も、
書くことから、少しずつ始めています。